大漁の日記

春はファーマー、夏はスイマー、秋はフィッシャー、冬はドリンカー

 スリランカ旅行の理由

* 今回、スリランカを旅行した理由は
  日本を救ってくれた大恩人の
  初代大統領ジャヤワルダナ氏がいた
  スリランカに 日本人として
  少しでも恩返しができればと考えたからですりらんか・・

   



* 歴史を振り返ると、

  1952年4月28日は
  正式に戦争状態を終結させるために
  サンフランシスコで調印された
  日本と連合諸国との講和条約が発効された日であり、
  この日をもって正式に戦争が終結した。

* 1945年8月15日、
  天皇陛下玉音放送によって
  事実上戦争は終結したが、
  その後の手続き等で
  日本は徹底的な侵略統治計画により、
  民族が絶滅してしまうほどの危機があった。




* 日本はアメリカだけではなく、
  イギリス、ソ連、中国
  を始めとした連合諸国と
  極限の交渉状態であった。

* 1951年
  サンフランシスコ講和会議において
  戦勝国である連合軍は、
  当然日本に対して厳しい賠償と
  制裁措置を求めた。

  この図はソ連が提案した
  米英中ソの4カ国での
  分割統治案である。

  この図のとおり
  分割統治しようとした計画が
  かなり危険な状態まで話し合われ
  どれだけ深刻であったのかは
  想像を絶する。

* そのような分割の
  駆け引きが行われている中
  
  1951年9月6日
  連合国家51カ国が集まる
  講和会議において
  スリランカ国代表として
  J.R.ジャヤワルダナ氏の
  スピーチが以下の通り始まった。



 『私の国の政府を代表してのみ
  話すことが出来るわけですが。
  然し日本の将来に対して一般的態度
  の中でのアジア諸国民の感情を、
  私は表明できると主張します。

  アジア諸国民が、
  日本は自由でなければならない
  ということに関心を持っているのは、
  なぜでありましょうか。
  
  それは日本との我々の
  長年の関係のためであり、そしてまた、
  アジアの諸国民の中で日本だけが
  強力で自由であり、
  日本を保護者にして盟友として
  見上げていた時に、
  アジアの諸国民が
  日本に対して抱いていた
  高い尊敬のためであります。

  私は、日本が掲げた
  「アジア共栄」のスローガンが
  隷従人民に魅力のあったこと、
  そして、ビルマ、インド及び
  インドネシアの指導者により
  国が解放されるかもしれないという
  希望によって、
  日本人と同調したいという前大戦中に
  起こった出来事を思い出すことが
  できるのであります。


  空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な、
  軍隊の駐屯及び我々が連合国に対して
  天然ゴムの唯一の生産者であった時、
  我々の主要商品の一つであるゴムを
  枯渇せしめたことによって、
  もたらされた損害は、
  我々に対してその賠償を
  請求するつもりはありません。


  何故ならば、我々はアジアの無数の
  人々の生命を高貴な言葉、
  偉大なる教師であり、
  仏教の創始者である仏陀のメッセージ、
  すなわち
   【憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、
    ただ愛によってのみ、消え去るものである。 】
  という言葉を信ずるからであります。



  故に、この条約の目的とする所は、
  日本を自由にし、
  日本の回復に何ら制限をも課さず、
  日本が外部からの侵略及び
  内部よりの破壊に対して、
  自らの軍事的防衛力を組織する
  ようにすること、
  そうするまでには日本防衛のために
  有効国家の援助を要請すること
  並びに日本経済に害を及ぼすような
  いかなる賠償も日本から取り立てない
  ことを保証することであります。』




* この演説を目の当たりにした
  吉田茂以下日本の随行員らは、
  大いに感動。

  

* この感動の演説が連合国の空気を
  一変して、日本への講和条約締結
  に至ったのである。

 



  その影響は 計り知れない。

  


* その後、同氏と日本の交流は続き、
  閣僚・首相・大統領としてたびたび
  訪日し、大喪の礼でも前大統領
  であったが、国賓として待遇している。



     





* 1996年11月1日
  90歳で死去に際し
  献眼、角膜提供を行い、

   【右目はスリランカ人に、
    左目は日本人に】
  との遺言により、
  左目は日本に贈られ、遺言通り
  長野県の女性に移植された。


          




* 吉田茂氏が
   【我が国、日本は後世まで
    この大恩を忘れてはならない。】
  と語ったらしいのだが・・・、




 〇日本国民はあまりにも
  スリランカに対して
  大恩がある事を知らなすぎるのではないか。



  トルコの難破船を救ったようなことは

  美談として映画などで残っているが、




  日本が窮地を救ってもらった事実は

  語り継がれておらず、

  日本国民には

  ほとんど認識されていない。

  



          


* スリランカの歴史は植民地支配の歴史であり
    16世紀はポルトガル
    17世紀はオランダ
    18世紀はイギリス
  の植民地として支配されてきた。

  セイロンとしてイギリス自治領から
  独立したのは1948年、
  スリランカ共和国になったのは1972年
  そして、現在の
  スリランカ民主社会主義共和国になったのは
  1978年のこと。


  だが、


  現在も着々と中国に
  侵略を受けているように見受けられる・・。



  どうでしょうか、日本国民であるならば
  大恩あるスリランカ
  せめて観光旅行してみよう
  という気になりますりらんか・・。



* 旅行記はまた後ほど、
  落ち着いてから書きます。りらんか・・・