大漁の日記

春はファーマー、夏はスイマー、秋はフィッシャー、冬はドリンカー

* 初盆とセガキ法要

* おふくろが昨年他界し、
  寺の都合で昨日、初盆と施餓鬼法要が行われた。 



 「施餓鬼」とは正に字面の如く「餓鬼に施す」という意味で、

 「餓鬼」とは六道(天上道修羅道、人間道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のうち、
  餓鬼道に落ちて苦しんでいる亡者のことらしい。



  腹を減らした餓鬼が口にしようとするものは、
  口元に運んだ瞬間 炎と化して燃え去り、
  何一つ食べることが出来ず 飢えの苦しみには際限がない。

  自分の力ではこの苦しみから脱することが出来ずに苦しみ続けている餓鬼に、
  食べ物を施そうというのが「施餓鬼供養」だとか。



  あの信心深かったおふくろが、
  餓鬼道で苦しんでいるはずはないが、



  我々は、知らず知らずのうちに殺生をして毎日を過ごしているそうな。

  例えば食事を頂く時、
  肉や魚などの命を頂いて、
  つつがなく生きて行く事が出来るのであって、

  このことに感謝し、
  餓鬼に施す善根功徳によって三界萬霊(この世のあらゆる精霊)や無縁仏への回向とし、

  また、その思いをご先祖様や亡くなった故人への供養に振り向ける法要なのだそうな。



* その席で坊さんから、 

  人間は死後どうなっていくのか。
  死後の世界があるのか。
  という説教話があった。  



  お釈迦様の教えでは・・と言い出すので、
  興味深く聞いてみると、



  生きている者は、死んだことないのだから、

  誰もわからないことであって、

  結局、お釈迦様も死後の世界はわからなかったらしい。



  そんなことを考えるより、今いかに生きるかが大切なのであり、

  この  を大切にして、一生懸命生きることが大事なのだとか。



        ごもっとも。